アルスー АЛСУ
1983年6月タタールスタン生まれ。
5才から音楽教育を受け、9才で音楽学校に入るためにモスクワに引っ越す。
その後ニューヨーク、コペンハーゲンでの生活を経て、1995年カレッジ入学のためロンドンに移る。

1998年ホイットニー・ヒューストンの公演で「アイ・ウイル・オールウェイズ・ラヴ・ユー」を歌い、この歌がきっかけとなり1999年にロシア人として初めてユニーバーサル社からデヴュー。

2000年ストックホルムで開催されたユーロヴィジョンでこれもロシア人として初めて2位に輝く。
その後エンリケ・イグレシアスとのデュエットが話題に。その活躍ぶりには誰もが賞賛するところ。父親がロシア連邦の国会議員であることからコネで成功したなどと揶揄する向きもあるが、それだけで今の地位があるのではないことは明らかだからだ。

2006年、結婚、出産のため音楽活動を休止。
2008年出産後はじめての新作を発表。家族ができたことでその活動の幅は広がっている。


  アルスー
戦場からの手紙
(2015)

品番:UMGCD-14-313
\2,600

*戦勝70周年を記念して発表されたアルスーがロシア民謡、戦中の軍歌を歌ったアルバム。

アルスーってポップスじゃなくても魅力的なのがよくわかる。

「鶴」、「暗い夜」、「灯火」、「青いプラトーク」、「もし戦争がなかったなら」、「カチューシャ」など知っている曲ばかりなのが嬉しい。


全14曲。 
   

アルスー
いい夢の妖精
(2012)

品番:KTL-12-651
\2,600


*08年に発表した出産休暇後の復帰アルバム「最も大切なもの」でもそうだったけれど、今回もお母さんになったアルスーらしい仕上がりになっている。

ロシアの伝統的な子守唄もあるけれど、アルスーの子供に対する慈しみがよく表現された選曲で、今のアルスーを表現している。

10曲目の「エリ-ベリ・ベリ-ベウ」はタタールスタン語で歌われている。


全13曲。

アルスー
ベスト
(2012)

品番:なし
\2,600


*アルスーの歩みがよくわかるベスト盤。


全17曲。

アルスー
トゥガン・テール=故郷の話(2008)

品番:0-06025-1793862-5
\2,600


*全曲タタール語とバシキール語で歌う。ほとんどがタタール、バシキールの民謡をポップス調にアレンジした曲だ。

元々タタールの地に生まれ、ロシアのショービジネスの世界で成功。
その後ロンドンで学生生活を送ったアルスーにとってタタールの言葉で歌ったアルバムを発表することには格別な思いがあるのだろう。

実はデヴューアルバム「19」でも1曲だけタタール語で歌っている曲があった。
その曲「エトケイ=パパ」がこのアルバムでも7曲目に収録されている。

ジャケット写真のロウソクの炎を見つめるアルスーの顔は輝いて見えるのは気のせいだろうか。
ジャケット内側にあるタタールの大地に佇むアルスーは印象的だ。

全11曲。
アルスー
最も大切なもの
(2008)

品番:460502600125
\2,600


*結婚、妊娠、子育てで活動を休止していたアルスー待望の復帰第一弾のアルバム。
結婚前よりずっとキレイになっているアルスーが、全曲新作で揃えてきた。
ある意味、満を持してのアルバム発表だったのかもしれない。

ブランクは全く感じさせない。
アルスーの特徴がよく出た仕上がりになっている。

「最も大切なもの」、「私の愛情の下で」、「あなたと私」、「二人でブランコ」、「別れるなんてできない」などほとんどの歌が愛を歌ったもので、彼女の心境の変化がよくわかる。

全16曲。
アルスー
最も大切なもの
(2008)

品番:4805026001268
 
\5,200
CD+DVD


*CDは上記CDと内容が同じ。

DVDはビデオクリップ3曲。
キレイなアルスーが見られる。

CD:全16曲。
DVD:ビデオクリップ3曲。
アルスー
19(2002)

品番:067307-9  \2,600

*「19」というタイトルは、アルバム発表当時アルスーが19才だったから。
19才であっても、彼女の歌いっぷりは情感豊かで上手い。

きっと頭のいい子なのだろう。
作曲も手がけていて才能の豊かさを感じさせる。

全11曲。