キノー Кино
ビクトル・ツォイは1961年6月レニングラード生まれ。
父は技師、母は教師であった。小学校は芸術系の学校に入り、ここで最初のグループ「パラータbU」を結成。
小学校卒業後、芸術専門学校に入学したがすぐに除籍になり、1978年から工場で働きながら夜学に通い、後に木材切断工専門学校に入る。
ボイラーマンをしながら、地下のボイラー室でミニコンサートをしていたのはこの頃である。

1981年夏アレクセイ・ルイビン、アレック・ヴァリンスキーと共に「ガーリンとギッペルバロイード」を結成し、その年の秋にレニングラード・ロッククラブに参加した。
1982年春にファーストアルバム「45」を録音。同時に「キノー」として「アクワリウム」のメンバーと共にレニングラードで最初のエレキコンサートを開いた。
1982年秋にキノーは最初のコンサートをモスクワで開催。
1983年2月に第2回エレキコンサートをレニングラードロッククラブで行った。
1984年ビクトル・ツォイは、精神病院で検査を受ける。

キノーは1984年春からレニングラードロッククラブの全てのフェスティバルに参加し、数々の賞に輝く。
同年夏から秋にかけてツォイは、「アクワリウム」のメンバーと共にセカンドアルバム「カムチャツカの長官」を録音。
ここでキノーは再編され、ツォイ、カスパリャン、チトフ、グリヤノフがメンバーとなる。

1985年末アルバム「これは愛ではない」、1986年1月アルバム「夜」、同年夏「レッド・ウェーブ」を制作。この頃ツォイはロック映画にも出演する。
1987年アルバム「血液型」(1988年発売)、1988年アルバム「太陽とい名の星」を制作。
1989年は収穫の年だった。夏にアメリカ公演、オデッサで開かれた「ゴールド・デューク」フェスティバルに参加。その後ソ連全国公演ツアーを敢行した。

1989年11月レニングラードでの最後となったコンサートが開かれた。
フランスではアルバム「最後の英雄」が発売される。
1990年春来日。
6月にはモスクワで最後のコンサートが開催された。1989年夏の成功裏に終わったソ連全国ツアーの模様は、ツォイの死後に発表されたアルバム「黒いアルバム」に収められた。

ビクトル・ツォイは1990年8月15日、今はラトビアの首都であるリーガで交通事故のためにこの世を去った。29才だった。
ツォイの死とともにキノーは終焉を迎えた。キノーの突然の幕引きは、その後伝説のグループとして語り継がれることになった大きな要因である。

キノーのテーマは、初期には都会のロマンスを内面的な世界で表現するものだったが、85−86年辺りから、鋭く社会性を持つものや政治的な問題に触れるものに変化していった。
ビクトル・ツォイ自身は、音楽性のスタイルを質問されるのを好まず、「見たものを歌う」と語っている。
この辺りにキノーが支持される要因があるのかもしれない。

キノーは誠実さや正直さを忘れず、プロフェッショナル性を発揮した数少ないグループの一つであった。
ソ連末期のペレストロイカ時代において、ソ連ロックを体現し、代表するグループであったことは疑いようがない。


キノー
グランドコレクション1(2008)

品番:GCR-162  \2,600

*1980年代ソ連を駆け抜けた伝説のロックバンド、キノーのヒット曲集。
ヴォーカルでありリーダーのヴィクトル・ツォイの死後10年以上経った今でも不動の人気を保つ。
現在活躍中のさまざまなロックバンドにも強く影響を与えており、カヴァー曲も多く出ている。

全19曲。
キノー
グランドコレクション2(2008)

品番:GCR-163  \2,600

*1980年代ソ連を駆け抜けた伝説のロックバンド、キノーのヒット曲集。
ヴォーカルでありリーダーのヴィクトル・ツォイの死後10年以上経った今でも不動の人気を保つ。
現在活躍中のさまざまなロックバンドにも強く影響を与えており、カヴァー曲も多く出ている。

全20曲。
キノー
ニューコレクション(2006)

品番:なし  \2,600

*ニューコレクション・シリーズから出たキノーのベスト盤。

「8年生の女学生」、「カムチャトカ」、「トローリバス」、「最後のヒーロー」、「血縁」、「夏が終わる」、「カッコウ」などヒット曲ばかりだ。
(「カッコウ」は元々キノーのナンバーで、ゼンフィーラがカヴァーしてキノーに捧げたものだ。)

全18曲。
キノー
ベスト(2002)

品番:S-1209
\2,600
CD-R盤

*ゴルデンバラード・シリーズから出たベスト盤。


全16曲。
  キノー
最後の英雄
(1997)

品番:MR-93007
\2,600


*ビクトル・ツォイが交通事故で死去し、グループが消滅したのが1990年。

ソ連末期のペレストロイカ時代に、西側の商業主義が流入してくる中にあっても、キノーはそれに毒されることなく、真摯に鋭く社会性政治性に切り込んだテーマを歌っていた。
グループが存在していたときに発表されたスタジオ録音のアルバムは8枚で、これは1989年に発売されたベスト盤の97年再リリース盤。

ビクトル・ツォイの死後に発売されたアルバムは、収録済みだった最後のアルバム「黒のアルバム」を除き、数々のコンサートライヴの音源から制作したものやベスト盤であることを考えると、このアルバムは貴重なベスト盤とも言える。

全10曲。
  
   

DVD
PALシステム

キノー1/
休暇の終焉
最後のコンサート
(2004)

品番 MR-04001  
\8,000


*1990年に交通事故で急死したヴィクトル・ツォイ率いるキノーの貴重な映像。

全14曲。

DVD
PALシステム

キノー2/
晴れの日々
(2004)

品番 MR-040021  
\8,000


*1990年に交通事故で急死したヴィクトル・ツォイ率いるキノーの貴重な映像。

全21曲。

ポスター

ビクトル・ツォイ
品番:PST-03 
\1800


縦×横:約60×44cm。

ビクトル・ツォイ
品番:PST-04 
\1800


縦×横:約60×44cm。