ウラジーミル・ヴィソツキー Владимир Высоцкий
今さら説明を必要としないヴィソツキーだが、体制批判が許されないソ連時代に唯一、 社会を風刺し自由に歌を歌っていた。

その歌は公認されていなかったためにレコードにすることは出来なかったが、人々はどこにも売っていないカセットテープをダビングすることにより家でこっそり聴いていた。
そのテープはまた人の手から手へ渡って広がり、音質は劣悪だったものの誰もが支持していた。クレムリンの幹部たちも執務室でこっそり聞いていたと言われたほどだ。

生涯で600以上の曲を書き、数十の主役をこなした。歌が特別に上手いわけではなかった。
それでも独特のしゃがれ声で思いの丈を機関銃のように歌い続けた。
フランス国籍のロシア人女優マリーナ・ブラディとの恋も彼の人生に華を添えた。

誰にも拘束されることなく、非凡な才能を開花させたヴィソツキーではあったが、その代償は大きく自身の健康を蝕んでいた。
1980年7月25日42才の若さでこの世を去った。
葬儀は公式に発表されていなかったにもかかわらず、モスクワでの葬儀には夥しい市民が駆けつけた。

死後唯一の国営レコード会社メロディア社からレコードが発売された。誰もが知っているのにどこにも売っていなかったヴィソツキーの音楽が自由に聴けるようになったとき、彼はもういなかった。
ソ連が崩壊し、新生ロシアの今日、以前ダビングされていた無数の音源から新譜が発表され続けている。

略歴:
ヴィソツキーは1938年1月モスクワ生まれ。映画好きな子供ではあったが、音楽教育を受けたわけではなかった。

小学校卒業後、建設技師大学に入るが1年で中退し、ムハット劇場学校に入学。

在学中の1959年にちょい役ながら映画デヴューした。
ギターを覚えるとすぐに作曲を始め、モスクワ大学の学生クラブで歌を歌うようになった。
1960年劇場学校卒業後プーシキン劇場入りしたものの脇役しか回ってこなかったが、映画出演の機会に恵まれた。

1961年からミニ劇場に出るようになったが、役者としての成功はなかった。
その代わり音楽の世界ではセルゲイ・クレショフの芸名で知られた存在となっていた。

役者としての転機は1964年にタガンカ劇場入りしてからで、センセーションを巻き起こした。

同年カフェでソロコンサートも成功させている。アルコール依存症の治療を受けたのもこの年からである。

1967年に映画「垂直線」に俳優としてよりも歌手役として出演し、ヴィソツキーの名は一気に国中に知れ渡った。フランスの女優マリナ・ブラディーと知り合ったのもこの年である。

1969年アルコール中毒で生死の境を彷徨った。その後も何度も入退院を繰り返し、そのため劇場の公演が中止されるなどしたために劇場を追放される。

その後劇場監督の温情でタガンカに復帰し、一時平穏な時期を迎える。作曲にも熱を入れ、コンサート活動も年3度開いた。
タガンカでハムレットの当り役を得てから、コンサート活動も活発化した。
モスクワからチュメニまでの公演旅行もし、1978年には150公演を数えた。

しかし、アルコール依存症は続き、麻薬中毒にもなった。医師が手をつけられないほど体は病んでいたのだ。
晩年は、アルコールと麻薬に苦しめられる日々を送り、死後の人気ぶりが却って痛々しい。
ウラジーミル・ヴィソツキー
戦闘から戻らなかった(2005)

品番:なし
\2,600

*戦争に関する歌を収録。

全22曲。
ウラジーミル・ヴィソツキー
グランドコレクションvol.1(2004)

品番:GCR-146  \2,600

*一枚は持っていたい、ヴィソツキーのベスト曲集。
全22曲。
ウラジーミル・ヴィソツキー
グランドコレクションvol.2(2004)

品番:GCR-147  \2,600

*一枚は持っていたい、ヴィソツキーのベスト曲集。
全29曲。
ウラジーミル・ヴィソツキー
ベスト(2002)

品番:MEL-293  \2,800

*1974−75年の録音で、ソ連時代唯一の国営レコード会社”メロディア”によるベスト盤。

全20曲。
ウラジーミル・ヴィソツキー
町への旅(2004)

品番:MSCD-555-04  \2,600

*ヴィソツキーは不思議なアーチストだ。死後20年以上を経てもアルバムが発表され続けている。
このアルバムではヴァイオリン演奏を多様した叙情的な曲が多い。

全11曲。
ウラジーミル・ヴィソツキー
最後のコンサート(2003)

品番:BoMB02-34  \2,600

*1980年7月16日モスクワ州カリーニングラード文化宮殿でヴィソツキーは最後のコンサートを行った。同年7月18日タガンカ劇場で最後のハムレット公演をしている。その1週間後の25日にヴィソツキーは息を引取ったことを考えれば、最後の力を振り絞っての公演であったことが。
ウラジーミル・ヴィソツキー
センチメンタルなボクサー〜スポーツのうた〜(2002)

品番:slr0337  \2,600

*表題作や”朝の体操”ほか、スポーツに関する歌を収録。
ウラジーミル・ヴィソツキー
皆前線へ行った(2002)

品番:slr0325  \2,600

*戦争に関する歌を収録。
全19曲。
ウラジーミル・ヴィソツキー
前科者(2002)

品番:MSCD-408-02  \2,600


全14曲。

DVD
PALシステム

ウラジーミル・ヴィソツキー
私には歌うべきことがあるT
(2004)

品番 MR-04003  
\7,000


*ウラジーミル・ヴィソツキーの1967−1980年の間に撮られたコンサート、スタジオ録音、TVインタヴュー集。

実際にヴィソツキーがどんな風に歌っていたかを知っている人は少ない。それだけに貴重な映像だ。

全21曲。