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店長の独り言 2013年7月号
1日に1本しか列車が来ない駅

   2013年、リトアニアの首都ヴィリニュスから
ポーランドの首都ワルシャワまで1日がかりで移動しました。

数年前までは夜行列車もあったのですが
旅客が少なかったのか廃止になり
今では1日1本しか、それも乗り継ぎでしか移動手段はないです。
(バスであれば数本連絡があります)

まずヴィリニュスを午前11時15分に出発して
12時半着の列車でカウナスという町まで行きます。
ここは杉原千畝さんが第二次世界大戦中に
日本領事をしていた町です。

次にカウナスを13時に出て
14時38分、シェシュトカイというリトアニア国境の町に着きます。
つまりここシェシュトカイは終着駅なのです。
1日に1本だけリトアニア側からとポーランド側からそれぞれ列車がやって来て
乗り継ぐわけです。

カウナスからやって来たリトアニアの列車は
この先はもうポーランドなので
15時10分になると
時刻表通りまたカウナスに引き返しました。

ここで最初の不安が頭を過ぎりました。
というのは
時刻表によれば15時5分に
ワルシャワを朝の7時に出発した列車が着く予定でしたから。

ワルシャワからカウナス、あるいはヴィリニュスに行く予定の人は
この15時5分発のカウナス行きに乗り継ぐはずだったのです。
遅れているポーランドからの列車を
リトアニアの列車は待てくれなかったわけで・・・。

1時間しても乗り継ぎ予定の列車は来なくて
仕方なく待合室しかない駅舎でしばらく時間をつぶしました。

それからまた1時間が経ち
流石に本当に不安になってきました。

なぜって
このシェシュトカイという駅は
周りにお店らしいものは何もなくて
ホテルらしきものもなさそうで
寂れた駅だったからです。

1日に1本しか列車が着かないのだから
仕方のないことかもしれません。

旅客用のホームは屋根付のものが1本しかなくて
駅舎だってレンガ作りですけど
待合室しかありません。

もし今日
ポーランドからの列車が来なければ
リトアニアの大きな町まで引き返すことは列車ではもう出来ないし
シェシュトカイで1泊することもできない
夕飯はどこで食べればいいのだろう・・・
などという最悪の想定が・・・。

結局2時間半遅れで
ワルシャワから来たポーランドの列車が着きました。
ワルシャワからは10人くらいがやって来たようでした。

あの人たちはシェシュトカイからどうやって移動するのだろうか
などと考えながら
ポーランド側の列車に乗り込みました。

リトアニアとポーランドは時差が1時間あるので
ワルシャワに無事に着いたのは
予定時刻の21時7分から1時間遅れの22時過ぎ。

冷々ドキドキのポーランド行きとなって
お腹も減っていて
疲れました。



2013,7,31
  
ノーと言ってしまった日本人

   2013年のロシア、ウクライナ、東欧での
現地買付けから無事帰国して早や2ヶ月経ちました。

今年の東欧、ロシア、ウクライナであったエピソードを
数回に渡って紹介したいと思います。


出張中は主に列車で移動することが多く
国と国を跨ぐ場合は
大抵夜行列車で移動します。

ブルガリアの首都ソフィアから
セルビアの首都ベオグラードに行くときのことです。

時間通りに駅に行き
入線した寝台列車に乗ると
車掌が切符を見て案内をしてくました

ここまではよかったのですが
座席が指定されているコンパートメントではなく
トイレの隣に案内されました。

先に乗り込んだ女性客を
何故か私の指定座席に案内したのを見てました。

それで私は
車掌の権限で切符と違う座席に入ることに。

コンパートメントに入ると
何となくトイレに匂いがして
ちょっと嫌な予感が。

思えばここからが問題の始まり。

出発までまだ時間があるので
荷物を置いて
ホームに出てコンコースに戻り
自販機でコーヒーを買いました。
これは列車で移動する際
立ち去る国のコインを減らす意味もあって
今では楽しみの一つでもあります。

列車に戻ってみると
車掌がコンパートメントを替われと言ってきました。

聴くと
小さな女の子を連れたおばさんが座席がないので
替わってやってほしい
ということ。

先に本来の座席とは違う
トイレの隣のコンパートメントに入らさせられ
今度は誰かと相席になって
しかも上段の座席を指定されたのです。

通常寝台1等席は
シーズンでない場合は1コンパートメント1人です。

今朝早起きをして
駅の窓口でわざわざ下段の座席を指定して
切符を入手したことを思い出しました。

「この人たちの切符はどの席なんですか」
と聴くと
「この人たちは切符を持っていない」
と車掌。

それはないんじゃないの
とついムカっときて
思わず「ノー」と言ってしまいました。

私が断ったので
切符を持っていなかったおばさんたちは
どこかに行っていまいまた。

それでこの騒動は一まず終わってしまったのですけど
トイレの匂いのするコンパートメントで
コーヒーを飲みながら考えました。

いっぱい旅客がいたのに
何故座席を譲るターゲットが自分であったのだろう

とか

あそこで座席を譲っていれば
「日本人はやっぱりいい人だ」
と思われたかもしれない・・・。

なんか後味の悪いコーヒーになってしまいました。


2013,7,11

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