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店長の独り言 2014年6月号
ウクライナについて2

   ウクライナ情勢について
漠然とした不安をもちながら
まずハンガリーに入りました。

ハンガリー入りして
ハンガリー人の友人に聞いてみると
「今、ウクライナは危ないから
行かない方がいいよ」
というアドバイス。

彼が言うには
「キエフでは武器を持った人がいっぱいいて
警察は機能していない」
と・・・。

それで駅の窓口でキエフ行きの切符があるのか尋ねてみると
ちゃんと売ってました。

武器を持った人がいっぱいいて
警察が機能していない」
のであれば内戦状態なわけで
列車だって行かないだろう、
と思ったのです。

それで、とりあえず西部ウクライナの町
リヴィウ(リュヴォフ)までは行ってみることにしました。

4月初め
実際にリヴィウの駅で降りてみると
昨年と何も変わらず平穏そのもの。

ただ旧市街の中心広場で
2月のキエフでのクーデターの折
独立広場で犠牲になった人々の追悼集会が開かれてました。
でも、その規模は小さくて
急いで通りを歩いていたならば
気が付かない程度のものです。

でも、
それから驚かされることが
宿泊したホステルでありました。

フロントの若い青年が
こちらがロシア語で話しかけているにもかかわらず
何故か
英語でしか答えてくれないのです。

何度か
「ロシア語で話して下さい」
と言うと
ようやくロシア語で答えてくれました。

彼はロシア語が話せなかったのではなくて
ロシア語で話したくなかったのです。

同じことは
ずいぶん昔
初めてポーランドに行ったときに経験したことがあります。
まだソ連が東欧諸国を支配下に置いていた頃の話です。
(現在ポーランドでは
ロシア語を知っている人は
ロシア語で話してくれます)

ウクライナ人の青年が
ロシア語を拒否している
そんな経験は初めてでした。

ウクライナ人にとっては
ロシア語はとても近い言葉なのに
それすら拒否するとは・・・。
ショックでした。

町中のカフェでは
迷彩服を着た若い女の子が
腕の辺りに
ウクライナの国旗のワッペンを貼っているのを見ました。

町中が
何か
「ウクライナ、ウクライナ」
と叫んでいるような雰囲気です。

そのことは
キエフまで行くと
もっと強く確信することになったのです。



2014,6,29
    
 
ウクライナについて1

   今年も4・5月にロシア、ウクライナ、東欧での買い付けに
行ってきました。

帰国して1ヶ月になります。
記憶が鮮明なうちに、出張先であったことについて
何回かに分けて紹介したいと思います。

まず、ウクライナについてお話したいと思います。
実はウクライナについては色々ご紹介したいことや言いたいことがありますが
躊躇いもあります。

ロシアに友人がいます。
ウクライナにも友人がいます。
それで
どちらがどうだということは
身が引き裂かれるような思いです。

「ウクライナ問題」という言い方で日本のTVニュースで取り上げられ出したのは
2月末のソチオリンピック終了前辺りからです。

日本でキーエフがどの辺りにあるのかを知っている人は
少ないと思われます。

そんな国がニュース項目の上位で
映像付きで流れるなんて!
という驚きが最初の感想です。

マイダン独立広場がTVで流れたときには
正直、「どうしよう」、と思ったものです。
だって4月5月にキーエフとリヴィウ(リュボフ)に
行く予定だったからです。

そのうちに
「クリミア問題」というテーマが取り上げられ始められました。

ロシアとウクライナが戦争をするかもしれない
などと言う人まで現れました。

出張のルートは
まず東欧からウクライナに入って
それから
キーエフからモスクワまで列車で行く予定を立てていました。

3月末の出発前には
果たしてキーエフには行けるのだろうか?
キーエフからモスクワ行きの列車はあるのだろうか?
などという
疑問が湧き起こり、
漠然とした不安がありました。


2014,6,15
   

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