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店長の独り言 2015年3月号 | ||||||||||||
2015年1月に中東で起きた日本人拘束事件後 強いショックを受けて 結局2月中は何も書けずに このコーナーを更新することが出来ませんでした。 そして3月に入って 11日を迎え 大震災後の4年の間 何も出来ずに過ごしてしまったことを考えました。 最近 日本国内や世界で とりわけロシアやウクライナ、 中東で起きていることの現実に圧倒され 感覚的についていけなくて ただただ 立ちすくむばかりです。 4年前に大きな地震があって 東京でも揺れがひどく 怖い思いをしました。 その後 津波が東北から関東沿岸部を襲い 大きな被害をもたらしました。 それから福島第1原子力発電所の過酷事故が起こり 東京でも恐怖と不安な思いの日々を過ごしました。 そして その被害は今でも続いているし、今後も続いていきます。 とてもアンダーコントロールなどと言える状況でないことは 日本に住んでいる人ならば誰でもわかることでしょう。 でも 日々の生活に追われ 大地震があったことも津波のあったことも そして今も福島第1原子力発電所事故が全く収束していないことも 忘れます。 忘れられる人はそれでいいじゃないか と言われるかもしれませんが、 あんなに怖い思いをしたのに 今また運転停止になっている日本各地にある原子力発電所の運転再開が 堂々と叫ばれている現在 何もしていない自分に行き当たります。 HP冒頭のお悔やみ文は 元々 大手サイトや大企業のHPが掲載していたのを ただ真似て書いたものでした。 でも 実際に書いてみると 大手サイトがページを更新して消していく中 いつ消せばよいのだろうか という疑問が生まれました。 そして一方では 福島のために何かしたいと思いながらも 何も出来ない自分がいました。 ところで、 2月の末に 高橋悠治というピアニストのコンサートがあるというので 久しぶりに行ってきました。 高橋悠治のコンサートは 学生時代によく行ったものでしたから まだがんばっているんだな と思いながら行ってみると それは ちょっと風変わりなコンサートでした。 高橋悠治というピアニストは 80年代 天才ピアニストと言われながら タイの東部農村の現状を訴えた 「カラワン」楽団というグループを日本に紹介するような活動をしていて 「水牛楽団」と名付けたグループを率い ピアノを演奏しながらも 地道な音楽を通した市民活動のようなことをしていた人です。 70代になった悠治は 会場に現れると ピアノの前に座るなり ひと呼吸置くこともなく いきなり演奏を始めました。 テクニックの衰えを見せることなく かつての彼がそこにはいました。 そして 何よりも驚いたことには 1曲1曲 自ら曲の解説をしたことです。 終盤を迎え 自ら作曲した「海からの黙示」 という曲を演奏しました。 2011年の地震、津波、発電所事故をテーマにした富山妙子の絵画を ピアノの後ろのスクリーンに映しての演奏でした。 静かな曲で こういう音楽の見せ方もあるのか と考えさせられたものです。 高橋悠治という人は 地震のことも津波のことも その後に起きた原子力発電所事故と それに伴う放射能汚染のことも忘れていなかったのです。 悠治と自分を比べるのはおかしいことですけど 音楽の力を感じられさせられたコンサートの帰路 少なくとも音源探しを仕事にしている自分にも。。。 と勇気をちょっとだけですけど もらった気がしました。 歌や音楽といのは 生活にはなくてはならないものではない かもしれませんが 時として 人を動かす力を持つものだと思います。 例えばソ連で ヴィソツキーが歌うことで 異議申し立てをしたように。 お悔やみ文の掲載にことに戻りますが 何も出来ないならば 今はせめて 忘れることだけはしたくない とも思います。 あの時同じ時間に 同じ列島にいた者の一人として 毎年3月11日に 1年に1回だけ思い出すマスコミのようにではなくて 覚えていたいと思うのです。 もう1年掲載をしたままで もう一度自分に何が出来るかを 考えたいと思います。 2015,3,12 |