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店長の独り言 2015年7月号
2015年の戦勝記念日70周年
パレードは

   毎年
モスクワの赤の広場で5月9日に行われる
戦勝記念日パレードを
TVで見ていますが
今年の70周年パレードは
これまでとは全く違っていました。

午前10時きっかりに始まり
予定通り11時に終了した
ところまでは例年通り。

たいてい
中継はここまでで
そこからはTVの画面は
スタジオに切り替わります。

今年のパレードはどうだった
こうだった
とキャスターのコメントが入るのですが
今年のパレードに限っては
スタジオに切り替わることなく
なぜか
プーチン大統領を映し続けていたのでした。

そう言えば
始まりから違ってました。

例年だと10時前から
現場の様子などを中継しているのが
今年に限っては
各国招待客が
クレムリンに車で到着をして
建物内部に入り
エントランスで
プーチン大統領が出迎えるシーンを
ずっと撮っていたのです。

話をパレード終了に戻すと
軍楽隊が広場から退場をして
大統領が各部隊の隊長さんたちが立ち並ぶところにやって来ると
労いの言葉を交わします。
ここまではいつもと一緒。

それが終わると
プーチン大統領と国防大臣が
なんと
赤の広場からアレクンドル庭園に向かって
歩き始めたのです。

距離が結構あります。
途中で
プーチン大統領は一度鼻をかんでました。

それから
沿道の観客に手を振ったり
国防相と会話をしたりして
3〜5分近く歩いたでしょうか。
長く感じました。

TVはその様子をずっと撮っています。

なぜ歩いているのかも
どこへ行くのかも
そして
なぜそれを映し続けているのかもわかりませんでした。

プーチン氏と国防大臣が赤の広場を出て
左に曲がるとアレクサンドル庭園です。

カメラも庭園に入ると
驚いたことに
招待をされた各国の元首たちが既に
無名戦士の墓と「永遠の火」の前で
整列をして

大統領たちを待っていたのです。

いつの間に来たのでしょうか。
不思議でした。

待っていたのは元首たちだけではなく
その夫人たちもいたので
サングラスを掛けたままの人も。
結構ラフな感じです。

軍楽隊もいて
国歌が演奏され
もう1曲演奏があり
それから無名戦士の墓に
献花がされました。

ようやく
すべての行事が終わると
参加者一同で
記念写真を撮ってました。
まるで遠足の集合写真のようです。

TVの中継はここまででした。

でも、
本当に
今年の戦勝記念日が違っていたのは
この後でした。



2015,7,22
      
 
2015年5月のモスクワ
戦勝記念日70周年一色の盛り上がりだった

   前回
ウクライナの首都キーエフが
街中黄色と青色になっていたことを書きましたが
同じ頃モスクワでは
戦勝記念日70周年一色になっていました。
(因みにウクライナでは
戦勝記念パレードは昨年から行われなくなりました。
歴史が
政権が変わったことで書き換えられたからです)

2015年5月9日
モスクワは戦勝記念日70周年が盛大に祝われていました。

日本の新聞では
モスクワでのセレモニーに西側からの首脳の出席がなく
ロシアの孤立ぶりが目立った
と伝えられていましたが
現地では
街中どこに行っても
お祭りの日のような感じの華やかさで
盛り上がりを見せていたように思います。

まず
街中に戦勝記念の旗や幟、ポスターが
例年になく多かったです。
広告費を増額したのでしょうね。

一番目に付いたのは
メトロ(地下鉄)内のポスターと飾り付けで
エントランス、ゲート、構内や通路、エスカレーター、
そして車内にまで及ぶ徹底ぶり。

チケット売りのおばさんが
戦中の兵士用帽子をかぶっているのを
初めて見ました。

車内に「ベテラン」と言われる従軍した元兵士のおじいさんが
パレードに参加したか兵士時代の軍服に勲章をいっぱい付けて乗車していると
周りの人たちが
普段はそっけないくせに
この日ばかりは記念写真を一緒に撮ったり
一緒に歌を歌っりしていました。


また目貫通りにある主要な建物には
建物をすべて覆うような大弾幕、オーロラビジョンで
飾り付けがされていました。

大きな書店では
戦中の音楽CDや映画DVD、書籍コーナーが特設され
戦中歌謡を歌うミニライヴもありました。

極めつけは
日本への帰国で
飛行機(アエロフロート)に搭乗したときのことです。
座席のモニターまでが
戦勝記念バージョンになっていて
驚きました。

そして
簡易の紙おしぼりまでもが
戦勝記念バージョンに・・・



2015,7,4
     

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