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店長の独り言 2005年11月号
 ロシアでの殺人事件

    モスクワの代理人に10月19日に発注したCDが未だに入荷しない。もう何度も回答を求めている。
  最近の回答ではっきりしたことは、どうやらモスクワでの殺人事件が大きな原因らしい。
  CDの主要な供給会社「ミステリア」の社長が殺害されたらしい。大体会社の名前自体がミステリアスなのだが、この事件の影響でCDショップが
  品薄になっているらしい。
  第二の理由としては、年末年始前の監査のためにこれまた品薄状態になっているということ。

  しかしながら、すべて「らしい」ばかりで、実際の様子がわからないのでちょっと焦っている。

  ロシアン・ディスクをお待ちのお客様、もう少しご迷惑をおかけしますが今しばらくお待ち下さい。
  
                                                                                  2005,11,28



 影の薄かったプーチン大統領来日

    11月20−22日までロシアのプーチン大統領が来日したが、日本の報道機関の取り上げ方はなにかへんだった。
  あたかも来日などなかったかのような扱いである。

  あらかじめロシア側が今回の首脳会談では領土問題を取り上げないと明言していたために、経済・貿易関係を中心に十二の文書に調印された
  ものの目に見える成果なしとしてニュース性に欠けたのは確かだった。
  かろうじて期待されていたシベリアから太平洋方面へ原油を運ぶパイプライン建設計画でも進展があったとは言い難かった。

  それにしてもである、1991年のゴルバチョフ元大統領や1998年のエリツィン前大統領が来日したときとは余りにも違いがありすぎる。
  なにがそんなに違うのかというと、日本におけるロシアに対する注目度や期待値が大幅に下降していることが背景にあるのではないかと思う。
  
  ペレストロイカ末期の時代は、米ロの冷戦が終結して世界が変わるのではないかという期待があったし、1991年にソ連が崩壊してロシアが誕生
  した頃は歴史が目に見えて激動していた時代で、混乱するロシアは国力が後退していたこともあり、圧力をかければひょっとして”島”が還ってくる
  のではないかという期待を抱かせていた。

  ところが、今や原油高でロシアは経済が順調だし、政治的にもプーチン大統領は磐石で自信満々。そんな状況で今日明日の問題ではない
  領土問題でなんの譲歩も引き出せないことはもう誰の目から見ても明らかだった。早い話”島”は還ってはこないのだ。

  その上、ロシアはナゾの国でもなんでもなくて、普通の国になりつつある。神秘的で謎だらけの世界であったソ連のような国ではもうないのだ。
  そんな国の元首がやって来たからといって国民の関心は引かないのである。

  日露関係は大きな曲がり角に来ているように思える。
  
                                                                                  2005,11,26

ひまわり

    古いイタリア映画に「ひまわり」というのがある。ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが主演している第二次
世界大戦後を舞台にした悲恋の物語である。ソフィア・ローレンが、戦争が終わっても祖国に帰還しないマストロヤンニ
演じる夫をウクライナまで探しに行くと、ウクライナの軍人が一面見渡す限りのひまわり畑を指差し、「あなたのご主人は
このひまわり畑の下に眠っているのです」と諭す。

一面ひまわりの畑は、ロシアやウクライナ、チェコなどを旅しているときに車窓から何度も目にした。その度に、映画「ひまわり」
を思い出す。


ところで、そのウクライナで今「ひまわり」を図柄にした切手が発売されている。このひまわりは”一輪”のものだが、やはりあの映画を思い出させる。

一面のひまわり畑でも一輪だけのひまわりでも、結局どちらでも同じ映画を思い出すというのは、「ひまわり」→映画の「ひまわり」という単純な
図式が頭の中にできているだけのことかもしれないけれど、ウクライナはひまわりが似合う国であるような気がする。
                                                                                  2005,11,21


 ロシアン・ティー

    日本にあるロシア料理店には、ロシアン・ティーなるメニューがあって、ジャム入りの紅茶が飲める。
  それでロシアに行ったときに、実際にロシア人がどうやってお茶を飲むのかを見てきた。
  結論を言えば、ジャムを入れては飲まない。ただし、ジャムをなめながら飲む人には遭遇した。まるでジャムをお茶の”お菓子”のようにしてなめていた。

  では、一体何故日本ではジャム入り紅茶が”ロシアン・ティー”と呼ばれるようになったのだろうか。正解を知っている人がいたら是非教えてほしいものだ。
  だいたいロシア式紅茶が日本に伝わったのはいつごろなのだろう?
  そして、今のようなロシアン・ティーが一般的に定着したのいつ頃なのだろうか?

  革命後白系ロシア人がアジアに逃げてきて広めたのだろうか。
  白系ロシア人ならジャムを紅茶に入れて飲んでいたのかもしれないし、なめる習慣なのだが、たまたま日本人と会ったロシア人がジャムを紅茶に入れて
  のんでいたのかもしれない。

  まあ、ジャム入りのロシア式紅茶としてロシア料理店でいただけるのだから、そんなに目くじらをたてて「実際は違う」などと言う必要はどこにもない
  のかもしれない。
  日本ではフレンチコーヒーだって、ジャーマンコーヒーだってあるのに、フランスやドイツでは飲めないのだから。
                                                                                  2005,11,18


 ロシア人との待ち合わせ

    ロシア人との待ち合わせはたいへんだった。彼の特徴は聞いていたがお互い初対面だ。
  1回目は、互いが知っている共通に認識のある場所がなかったので、デパートの中にある無印良品店で待ち合わせることにした。
  ところが、1時間待ってみたが会えなかった。
  実は待ち合わせたデパートの中には無印が2店も入っていた。それがいけなかったのかな、と思いきや、彼は無印がどこにあるのかが
  わからずあきらめてしまった、ということだった。

  2度目はI駅の中で待ち合わせをした。今度はお互いに携帯の電話番号を知っていたから、ちょっと甘くみていたかもしれない。
  彼は、約束をした時間に指定した場所に来ていない。

  電話をするとS線のホームにいると言う。JRの北出口まで来るように言った。
  彼は改札に現れない。そうだ、改札は全部で6ヶ所ある。彼は北改札がわからないのかもしれない。
  地下にある5つの改札全部を見てから電話した。
  ホームにいるという。
  どうやら切符を無効にしたくなかったらしい。

  再度JR北出口まで来るように要請。
  もう一度5つの改札をチェックしてもいない。

  電話した。
  「ロッテリアは見えますか?」
  「カフェや本屋があります」

  そうか、地上改札にいるのだ!
  仕方ない、地上2Fにある最後の改札に向かった。
  いなかった。

  電話する。
  「何が見えますか?」
  「ホテルと白い塔が見えます」

  やっと理解できた。彼はJR”北改札出口”にいるのではなくI駅の”北出口”にいるのだ。
  くたくたで彼をみつけたときには1時間以上が経過していた。

  これって言葉の問題だろうか?
                                                                                  2005,11,14


 ルーマニアの詩人は?

    ロシアは詩人が尊敬されている国だ。貧乏人の代名詞である日本とは大違い。詩の朗読会が巷で行われ、誰でも好きな詩人がいて、好きな詩を
  詠えるという。日本でも句会はあるけれどそれほど一般的ではないし、実際に好きな日本の詩人を一人挙げて、ひとつ好きな詩を披露することは
  できない。そう考えれば、やはりロシアは文化水準が高い。
  そのことはロシアン・ポップスの歌詞にも当然影響していると思われる。ロシア人と同じレベルで曲を聴くことができれば全然違う世界が開けるのかも
  しれない。

  ところで、ルーマニア人の詩人をご存知だろうか?ミハーイ・エミネスク。他には?エミネスクの代表作は?
  何一つ知らない。
  ルーマニアは実は、ロシアと同じく才能の宝庫だ。ブランクーシ、チェリビダッケ、パウル・ツェランなど美術、音楽、文学上世界的な才能を輩出している。
  残念ながらみな海外に流出してはいるが、ルーマニアが生んだ才能がたくさんいることは確かだ。
  そのことは以外と知られていない。何故だろうか。

  以前ルーマニア人の女の子に、エミネスクを知らないと言ったらひどく怒られたことがある。
  ルーマニアでもまた、ロシア同様詩人が尊敬されているのだろう。ヤシではエミネスクの銅像をよく見かけた。
                                                                                  2005,11,12


 ロシア映画

    最近ロシア映画を全然見ていない。映画を見に行く機会がめっきり減ってしまったこともあるが、ロシア映画に触れる機会そのものが激減している
  ように思う。
  ソ連時代は、国威発揚のためかソ連大使館主催の映画祭が毎年春に催されていたものだ。しかし、時代は変わり、ロシアになったらそんな文化交流も
  いつの間にか姿を消してしまった。

  ロシアは才能溢れるお国柄。90年代の話になるが、新生ロシアになったばかりで経済が安定しない苦しい時代に見た映画は、当時の状況をえぐる秀作
  揃いだった。
  「パリへの窓」という題名だったと記憶している。ある日主人公は、自分のアパートにパリに通じる出口があることを発見する。彼はビザもなしで自由に
  モスクワとパリを往復することになり、パリでの生活を満喫する。しかし、結局彼はモスクワに留まることを決意する、というもの。
  まるで、イソップの「都会の鼠と田舎の鼠」のような話。
  誰もが、外国への憧れと逃避願望を持つ中、ロシア人とは一体何なのか、と問うものだった。

  別の映画でも同様のテーマを扱い、当時のロシア人の置かれている状況を反映していて興味深かった。

  今月下旬のプーチン大統領の訪日時に、「日本におけるロシア文化フェスティバル2006」の主催が発表されるという。このフェスティバルでは、ロシアの
  映画やバレエが紹介される内容で、久しぶりに最新ロシア映画が紹介されることを期待したい。
  ロシアの現在を鋭く斬る辛口の映画が見たいものだ。
                                                                                  2005,11,08
 


 最近のロシア・ウクライナ情報

    今週半ばに「ロシアでは今年から革命記念日を祝日として祝わない」という報道があった。ついにと言うか、ようやくと言うかは人それぞれだろうが、
  ロシアが一つのターニング・ポイントを迎えていることは確かだろう。
  5月9日の戦勝記念日と共に11月7日は、ロシア人にとっては重要な記念日だった。その一つが生活の暦からなくなれば、急速に忘れ去られることに
  なるのだろう。
  「最近の若者は、自分の国がどこの国と戦っていたのかも知らない」。これは、日本の若者にも共通して言えそうだが、あるロシア人の知人が嘆いて
  言った言葉だ。戦勝国の若者でさえそうなのだから、敗戦国の若者はなおさらであろう。

  ところで、最近のロシア・ウクライナ報道の変わりようは顕著だ。TVでも新聞でも、かつての報道は政治絡みのものが主で、「混迷のロシア」とか「崩壊」
  などの見出しがごくごく当り前のものであった。例え大自然を描いた内容の番組であっても、なにかしら歴史的な結びつきがあって、「革命」、「戦争」、
  「収容所」、「粛清」というキーワードが見え隠れして、なんとなく”暗い”イメージが付きまとっていた。

  しかし、最近は違う。大体扱う内容が文化、経済関連のものが多くなった。そして、文化遺産にしろ、大自然にしろ、フランスやイタリアの美術品を紹介
  するのと、カナダやオーストラリアの大自然を描くのと全く同じコンセプトで語られる。
  また、一般紙なのに日経新聞 顔負けの経済記事が掲載される。

  われわれのロシアを見る目が変わってきたからなのか、それともそうした記事や番組に洗脳されているのかはわからないが、90年代末辺りから変化して
  きているのは確かだ。

  こうした変化は、きっと「革命記念日」がなくなったことと少なからず関係しているのだと思う。日本とロシアは隣同士だが、海の向こう側で起きている
  大きなうねりが、少しずつではあるが伝道し連動している。
                                                                                  2005,11,05


 ルーマニアの道路事情

    自動車に詳しくはないが、ルーマニアの道路の悪さはすさまじい。とにかくでこぼこが多く、真直ぐ走ることは難しい。アナポコを避けて対抗斜線に
  はみ出したりするのは日常茶飯事だ。地方では今でも馬車やロバ車?が荷物を引いているルーマニアでは、悪路ぐらいは余り気にしないのだろうか?

  技術が発達した現代にあって道路ぐらい簡単に直せそうなのだが、話はそう簡単なことではないらしい。
  なんでもわざとヤワな道路を作り、数年で補修が必要なようにしておくらしい。そんな嘘か本当かわからないような会話が日常的に語られている。

  ロシアもルーマニア同様、道路事情はよくない。運転をしていたロシア人の知人が、アナポコを避けながら「日本の道路もこんなに悪いか」と訊いたことが
  あった。
  彼がルーマニアの道路を走ったら、「ロシアの道路はいい」と言うことだろう。

  ところで、ルーマニアの車と言えば”ダチア”だ。ルーマニアでフランスのルノーに似た車を見かけたら、それは100%ダチアだ。そのダチアも今では
  ルノー資本が注入されて、”ロガン”という低価格だが性能に優れたセダンタイプの新車を生み出している。ヨーロッパでは話題になっているらしい。
  90年代にルーマニアにいたとき、クライオヴァにトヨタの工場ができるという噂を聞いた。スズキがハンガリーに進出しているので、噂は本当かもな、と
  半信半疑でいたら、それはルノーの工場だったことがある。同じラテン系の国同士、絆は深い。

  さて、先ほどの悪路について話に戻すと、日本車をはじめとして欧米車は車高がそれほど高くない。そのためアナポコにタイヤが突っ込むと、車底を
  ガリガリと削ったりぶつけたりすることになる。
  それを考慮してか、ダチアは車高が高く、何の心配もない。ピカピカの欧米車がガリガリと車底を削りながらノロノロ運転、ジグザグ運転しているのを
  横目にダチアは涼しい顔をして追い抜かしていく光景が目に浮かぶ。郷に入れば郷に従えで、ルーマニアではやはりダチアがいいのだ。

  今ルーマニア人に訊いてみたい。「やはりロガンも車高が高いのか」と。
  2005,11,01
                                                            

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