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店長の独り言 2018年8月号 | ||||||||||||||||||||||||||
5月9日は ロシアでは大祖国戦争(対ナチスドイツ戦争)の 戦勝記念日として 大々的に祝われています。 4月ぐらいから TVでは関連番組が始まり 5月9日前は TV番組はもちろん街中も 戦勝のお祝い一色になります。 9日当日は午前10時からモスクワクレムリン前にある赤の広場で 軍事パレードがあります。 このパレードは政府、軍関係者しか参加出来ず 一般の人には開放されていません。 市中心部は完全に閉鎖され メトロの出入り口も制限されます。 それで ということではなかったでしょうけど 数年前から 軍事パレードが終わった午後から 赤の広場を出発してトヴェルスカーヤ通りを行進する 「永遠の連隊」という一般市民のパレードが 行われるようになりました。 このパレード 元々は04−06年にクズバス地方の複数の町で 2007年にチェメーニの市民によって 非営利的で非政治的 そして民間による主催で行われた 先の大戦に参加して亡くなった自分たちの祖父母の写真を掲げて 追悼するイベントでした。 (*写真は兵役時に身分証明書用に撮った小さなものを 引き伸ばした写真です) それが 今のような形になったのは 11年に3人のジャーナリストにより企画されたイベント ということです。 この市民参加のパレードは 年々拡大化していき 12年はロシア国内15都市での開催。 (*この年はまだモスクワやサンクトペテルブルクでは行われていませんでした) 13年はロシア、ウクライナ、カザフスタン、イスラエルを含む120市町村。 14年になるとロシア500都市 15年には ついに17国での1150都市、地域での開催となり モスクワでのパレードには プーチン大統領も参加したことが伝えられました。 (詳しくはこのコーナーの2015年8月号で紹介しています) 16年は42カ国での国際的な開催となっています。 (もちろん日本のマスコミでは伝えられていません) 今年18年は モスクワでなんと 100万に以上が参加したということです。 前置きが長くなってしまいましたが 問題はウクライナです。 このような運動の国際的な盛り上がりの中で 当然 ウクライナでも同様のパレードをしたい という人々がいることは 容易に考えられることです。 ウクライナでも14年までは 政府主催で 戦勝記念の軍事パレードを キエフの独立広場で行っていましたから 当然13年から国際的になった市民パレードをするわけです。 ウクライナでこの市民パレードに参加しているのは 主に 戦争に従軍したおじいさん、おばあさんを含む年配の人々です。 その年配の人々を 右翼の若者たちがパレードを阻止しようと 暴力的に襲います。 手にしている花束や写真のプラカードなどを引きちぎる 暴力行為のいざこざをTVは毎年 5月9日に伝えていました。 今年の5月6日のことです。 キエフのメトロに乗って 独立広場のあるフレシャーチック駅にいると アナウンスがあり 「来る5月9日は アーセナル駅に集まって パレードに参加しましょう」 と呼びかけていました。 一瞬耳を疑いました。 これは一体どういうこと? 5月9日に ウクライナにいなかったので 自分の目で見たわけではないのですが キエフでも 「永遠の連隊」パレードが行われました。 右側の人々からすると ソ連の戦勝記念日は ウクライナ独立派が敗れた日であり ソ連に従属をした 屈辱の日です。 実際に ウクライナ政府は 15年からは戦勝記念セレモニーを中止していました。 それが これまでの右派強行路線を軟化させ 今年2018年から突然 「永遠の連隊」パレードが 多少のいざこざがあったものの アーセナルから無名戦士の墓まで 行われたのです。 ウクライナのマスコミは2千人の参加 ということですけど マスコミ掲載の写真からすると 参加者はもっと多いかったと思われます。 ウクライナ政府は 5月9日を祝日にして 対独戦勝記念日を祝った というのは ここ数年毎年続いた歴史的論争に 終止符を打ちたかったからかもしれません。 でも 5月9日は ウクライナ政府が思うような 平穏な日では終わりませんでした。 2018,8,26 |