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店長の独り言 2006年6月号
ブタペスト

  ハンガリーの首都ブタペストはヨーロッパ内でも大きな町だ。
恐らく中欧では一番大きな町。
物価は、ハンガリーがEU入りした2003年から上がったが、
それでも西欧諸国と較べるとまだまだ安い。

治安も比較的いいので、旅をするには快適だ。


そんな中欧一の町にはやはり地下鉄がある。
それもソ連製。
つまりモスクワやキーエフで走っている車両と同じなのだ。

左上の写真を見てモスクワだと思った人もいるだろうが
実はブタペスト。
キーエフの地下鉄は外装のデザインを変えていたが
ブタペストのそれはソ連時代と同じ。

ただ内装は全然違う。
これが同じ車両かというくらいに違う。

まず座席シートが日本のものと代わらず座り心地がいい。

他に目立つものとしては手すりに吊り革がついていることだ。
これも日本のものと変わらない。

このような違いはもうずい分前からだ。
ウクライナでも独立後少しずつではあるが変化が目に見えてある。

そうなると本家であるロシアはどうか、と考えてしまう。

確かに新車両が今年からお目見えしたが、まだまだだ。
本家だけにロシアが一番代わりにくいのかもしれない。


2006,06,30
キーエフ

  ウクライナの首都キーエフは落着いたいい町だ。
治安も比較的よく、何度も行ってみたい町のひとつ。

キーエフでは、モスクワのような物価高は今のところない。
公共交通機関の料金は去年と同じで、
例えば地下鉄、トロリーバスは1回50カペイカだった。

キーエフの地下鉄は、モスクワで走っている車両と同じだ。
ただ独立後、ウクライナ国旗色から青地に黄色のラインというデザインに変えた。
(モスクワの地下鉄には黄色のラインがない)



内装も少し違う。
JRの通勤電車のように車両内部にモニター画面が取り付けられていて、
(取り付けられているのは天井からだが)走行中CMが流れる。
そして地下鉄が次の駅に近づくと、駅名が表示されるのだ。

モニター画面は韓国製だった。

ロシアと同じソ連時代のものを使っていても
改良を加えている。

そんなところにウクライナの可能性を感じるのは大げさだろうか。



2006,06,26
モスクワ

  4月中旬のバルト、ロシア、東欧はどこも寒かった。
ヴィリニュス、モスクワでは天気も悪く、10℃ぐらいの日ばかりだった。

リトアニアは2年ぶりだったけれど、変化はあまり感じられなかった。
それに対してモスクワでは物価の上昇と交通渋滞が目についた。

地下鉄が昨年は9ルーブルだったのに今年は15ルーブルになっていた。
ロシア人にとっては切実な値上げだと思う。

地下鉄に乗っていて気づいたのだが、新型車両が走っていた。
何十年も変わらないメトロの風景なのだが、これは目新しかった。

東京の地下鉄東西線に似た車両デザインで、メタルカラーに青いラインの入った車両は従来のものとは全然違う。
内部も蛍光灯で明るい内装にになっている。

一方、トロリーバスも変化が見られた。
乗客は前ドアから乗り、運転手から磁気カードタイプのチケットを買うと右の写真にあるようなメトロにあるような改札機にチケットを通すと改札を通り抜けられるというもの。

トロリーバスすべてがこのタイプに代わっているとは思えないが、交通機関の値上げでかつてのような自分で改札をするシステムが崩れてきているのかもしれない。


2006,06,15
リトアニアまで2

  今回のリトアニア行にあたって成田空港のチェック・イン後、
同カウンターで職員がなにやらしきりとやり取りをしてから
思わぬ質問をされた。

「リトアニアからの帰りのチケットはお持ちですか?」

これはアエロフロートのチェック・イン業務を代行しているJALの職員の質問だった。
帰路はワルシャワから東京だったから
リトアニアから出国用のチケットなど購入しているわけがなかった。

「そうですか、リトアニアから出国用のチケットをお持ちでないと
入国できないことがありますよ。
最悪の場合リトアニア入国はできず、日本にお戻りになることになります」
そう脅すように言う。

「地球の歩き方」にもそんなことは書いてない。
確かビザはいらないはずなのに・・・。

そんなことを思ってみたがJALの人が言うのだから本当なのだろう。

「では、リトアニアから出国用のチケットを購入して下さい」
と言うのでOKした。
ヴィリニュス-ワルシャワの航空券を手配すると言う。

そんなやり取りをしている間に出発時間が迫ってきていた。
不安そうに時計を見ていると
「もうチェック・インされてますので大丈夫ですよ」
と言ってくれた。

そこまではよかった。すぐにまた、なにかもめているようだった。

「お客様、航空券の料金計算ができません。
それで、このまま帰路のチケットを持たないお客様をお乗せすると
航空会社が罰せられますから、
やむを得ないのですが、これはご自身の判断で乗るのであり、
自己責任をとるという同意書にサインしていただけませんか?」
と言って1枚の文書とペンを差し出された。

そうする以外には予定の便には乗れそうになかったから
言われるままにサインをした。

「モスクワでの乗り継ぎの際、同じことをアエロフロートの職員に言われるかもしれませんが
その時には航空券を購入して下さいね」
というアドバイスももらった。

当初頭の中はモスクワでの乗り継ぎの不安でいっぱいだったので、
状況がよく把握できないまま搭乗ゲートに向かった。

搭乗ゲートにはもう誰もいなかった。
どうやら最後に乗り込んだようだった。

モスクワで上記の件で質問する人はもちろんいなかった。
ヴィリニュス空港でもそのような質問は一切なかった。

あのサインした同意書は今どこにあるのだろう。


2006,06,9
リトアニアまで1

  リトアニアに行ったのはこれが3回目だ。
最初の訪問国なのに出発前からモスクワにあるシェレメーチェヴォ空港での
乗り継ぎに不安があった。
これについては3月24日のブログで詳しく書いた。

結論から言うと乗り継ぎはできた。
リトアニア人の乗り継ぎ客5人がいて、
計6人で国境警備員のお姉さんと7人でミニバスに乗り
シェレメーチェヴォ2からシェレメーチェヴォ1に20分かけて移動。

チェックイン手続きはシェレメーチェヴォ2の2Fにあるトランジット・カウンターで
行い、シェレメーチェヴォ1では待合室にいただけだ。




リトアニア人の乗り継ぎ客がいたからよかったが自分ひとりでも移動用のミニバスを出してくれたのだろうか。
また、東京からの飛行機が遅れて同日乗り継ぎができなかったらどうなっていたのだろうか。

出発前にあった不安は完全に払拭できたわけではなかった。

しかし、なんとかヴィリニュスに入ることはできた。

2006,06,4

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